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佐野実リンク集

神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれた。実家は貧しく、幼い頃の夢はラーメン屋か寿司屋になることだった[1]。横浜市立戸塚小学校、横浜市立戸塚中学校時代は新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして小遣いを稼ぎ、その金でラーメン屋に通った。中学生のとき初めてラーメンを作って家族にふるまい、旨いと褒められた。 藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)に進学し、野球部に所属してプロ野球を目指した。しかし、チームメイトに後に読売ジャイアンツなどで投手として活躍した小俣進がいたため、出番に恵まれずプロ野球への夢を諦めた。学校の近くに好きなラーメン屋があり、昼休みに学校を抜け出して食べに行ったこともある[1]。 高校卒業後、横浜市内の不二家のレストランに就職。その後15年あまり、洋食コックとしてキャリアを積んだ。しかし徐々に独立してラーメン店を開きたいという思いがつのり、知人の紹介で某ラーメン店で1週間修業したのち、実兄の資金援助を得て、1986年8 月に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開店する。しかし初めは思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭ったこともあるという。店の経営が軌道に乗ったのは2年後の1988年ごろからだった。同店の開店の前に、かつて洋食コック時代の部下だった女性に「いっしょにラーメン店をやってくれないか」とプロポーズし、結婚した。しかし数年後に破局。2003年に別の女性と再婚した。 佐野がラーメンの世界で唯一頭が上がらない人物として名を挙げるのは、「東池袋大勝軒」創業者の山岸一雄である。 2010 年現在、新横浜ラーメン博物館店と、2008年11 月に横浜市戸塚区に開店した「支那そばや」本店を営業している。本店の開店と同時に、「ラーメンの鬼」と自称する「佐野実の厳選ブログ」を開設した。 2009 年5月に駒沢オリンピック公園で行われた「ラーメンShow in Tokyo 2009」など、近年のラーメン関係のイベントでは、「佐野JAPAN」[2]というチーム名で出店している。これは、佐野を師と仰ぐラーメン店主たちが集まった自然発生的なチームであり、比較的あっさり系スープの店が多い。

麺は自家製麺しており、新しい麺の開発にも積極的である。新横浜ラーメン博物館店で使用している「絹越和伊麺」(きぬこしわいめん)は、イタリア産のデュラム・セモリナ粉と、国産小麦をブレンドしたものを用いている。製麺機から出来た麺は木箱に入れ、2?4分間、少し蓋を開けて放置。その後高湿冷蔵庫(高級蕎麦屋で使われる)でひと晩保管して熟成させる。 戸塚本店では、スープに使う鶏ガラは名古屋コーチン、麺に使う潅水はモンゴル産、具のネギは九条ネギ、醤油味と塩味で変える器は有田焼と高価な物を使用している。 鵠沼に出店していた時代は、香水が香る人の入店、店内での私語・喫煙や携帯電話の使用が禁止されていたが、新横浜・戸塚に店舗がある現在はそういった「客への細かい注文」が無きに等しいものとなっている[1]。

* 『ガチンコ!』 この番組の企画「ガチンコラーメン道」で、ラーメン職人を育てる指導者となり有名になった。ラーメンの鬼と自称しており、同番組では、「甘ったれんな!」「帰っていいよ!」などと出演者を激しく罵倒したり、水をかけたり、スープを捨てた為、「食品を粗末にする」ということで、放送倫理委員会から注意された。 * 『世界ウルルン滞在記』(2001年12月23日放送) 中国蘇州の名店「同得興」のオーナーである肖偉民が来日し、ラーメン博物館の支那そばやのラーメンを食したが満足できず、店主の佐野本人を呼び出して「うま味調味料を使いすぎている、味が濃すぎる」と指摘した。それに対して佐野は、「オレが料理の管理をしているわけじゃないから」と弁明した。また、日本出店を願うある中国人店主が出演した時、羊のチャーシューを使ったラーメンを披露したが、佐野は「チャーシューにクセがあるので日本では受け入れられない」と切り捨てた。中国人店主は「これは絶対売れるし成功する」と言ってその評価を否定した。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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